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【アイザック・ニュートン:微積分】
「変化」を書く言葉を発明した男

獲得EXP:サイエンスの本質 +300

<ニュートン ステータス:流れる量の速さを計算中
今日
ニュートンさん、ひとつ聞いていいですか
21:02
アイザック・ニュートン
どうぞ
21:02
高校で、わたしを数学嫌いにした「微分積分」。あれを作ったのは、あなたですか
21:03
アイザック・ニュートン
……半分は、そうだ
21:03
半分?
21:04
アイザック・ニュートン
ドイツのライプニッツという男も、同じころ、別の道から作った。あなたが教科書で見た ∫ も dx も、彼の書き方だ
21:04
じゃあ、あの記号を恨むならライプニッツさんのほう……
21:05
アイザック・ニュートン
そうしてくれ。わたしの書き方は、ほとんどイギリスの中でしか使われなかった
21:05

トークの中身:ライプニッツの独立の発見⑨、∫ の書き方⑧⑩、英国はニュートンの記号を使い続けた⑨。

ニュートンの3つの冒険

このページは、ニュートンの3つの発見のうち3つ目(微積分)です。1つ目は「光の分解」、2つ目は「万有引力と運動の3法則」のページにあります。

  1. ①光の分解(プリズムで白い光を色に分けた)
  2. ②万有引力と運動の3法則(リンゴと月を同じ法則で説明した)
  3. ③微積分(「変化」を書く言葉を作った)このページ
このクエストの問い

止まった図形の面積や接線なら、先人たちがそれぞれの工夫で求めていた。でも、刻々と変わる「速さ」や「変化」を、決まった書き方で扱う方法はまだ無かった。
ニュートンは、変化をどうやって数式で書けるようにしたのか?

この冒険の前提:ここまでに分かっていたこと/まだ分かっていなかったこと
先人
分かっていたこと
でも、ここはまだ
アルキメデス(古代ギリシャ)
図形を細かく取り尽くして、面積を求める方法⑧
決まった書き方は無く、問題ごとの工夫だった⑧
フェルマー、カヴァリエリ(17世紀)
極大・極小や接線を求める方法、面積を細い切れ端の集まりとみる方法⑧
接線と面積は、別々の問題として解かれていた⑧
トリチェリ、バロウ
速さが変わる運動を考え始めた。距離から速さへ、速さから距離へ⑧
バロウはその方向に進んでいたが、2つが「逆の操作」だという基本定理を、はっきりとは述べなかった⑧

WHEN | 時代背景イングランドとドイツと江戸で、同じころ数学が動いた

同じ17世紀の後半に、イングランドのニュートン、ドイツのライプニッツ、そして江戸の関孝和が、それぞれ新しい数学を切りひらいていました。関孝和の行列式は、ライプニッツより約10年早かったとされています⑬。関は、円周率や円弧の研究から育った「円理」にも力を注ぎ、のちの和算ではそこから積分や無限級数が扱われるようになりました⑬。

年
世界
ニュートン
日本
1664
独学で数学を始める。デカルトやウォリスの本のノートをとる①
1665
夏、ペストで大学が閉鎖。実家へ①
1666
10月、流率についての小論を書く(出版はしない)①⑧
1669
『無限級数による解析について』を書き、写本で回す(出版は1711年)⑧。10月、バロウが辞めたルーカス教授職を26歳で継ぐ⑭
1671
『流率法と無限級数』を書く(英訳の出版は死後の1736年)⑧
1674
関孝和が『発微算法』を出す。紙に文字の係数を書いて方程式を解いた⑫
1675
ライプニッツが、草稿で初めて ∫ を書く⑧⑩
1683
関孝和が『解伏題之法』で行列式を示す⑬同じころ
1684
ライプニッツが微分の方法を雑誌に発表⑧⑨
1693
ライプニッツが行列式を導入(西洋で最初とされる)⑬
1712
王立協会が、ニュートンを先とする報告を出す⑨
会長として、報告の中身を自分で書く①⑨

では、大学が閉まった2年弱に、この青年に何が起きていたのか?

WHO | 挑戦者農家の少年から、造幣局の長官へ

アイザック・ニュートンの人物画

父は彼が生まれる前に亡くなり、母は再婚して家を出ました。少年は祖父母のもとで育ちます①。大学では、本を読んで独学で数学を身につけました①。光・重力・微積分の種がそろったのは、ペストで大学が閉まった2年弱です①。後半生は、議員、造幣局の長官、王立協会の会長と、研究室の外の世界でも大きな存在になっていきます①⑤。

主な成果 転落・対立の節目

  1. ウールスソープ 1643〜1661
  2. 16430歳生まれる。父は誕生前に死去①
  3. 1645ごろ2歳母が再婚し、祖父母に預けられる①
  4. 1655ごろ12歳グランサムの寄宿学校へ①
  5. ケンブリッジ 1661〜1696
  6. 166118歳トリニティ・カレッジに入学①
  7. 166421歳デカルトやウォリスの本で、数学を独学①
  8. 1665〜6722〜24歳ペストで大学が閉鎖。実家で過ごす(驚異の年)①成果
  9. 166825歳鏡を使う反射望遠鏡を自作②成果
  10. 166926歳ルーカス教授職に就く①
  11. 167229歳王立協会フェローに。光の論文を発表②成果
  12. 168744歳『プリンキピア』を出版①④成果
  13. 168946歳名誉革命のあとの議会に、大学の代表として選ばれる⑤
  14. 169350歳心身の不調。友人に疑いをぶつける手紙を書き、のちに詫びる⑥転落
  15. ロンドン 1696〜1727
  16. 169653歳造幣局の監事に(1699年に長官)①
  17. 170360歳王立協会の会長に(亡くなるまで)①
  18. 170461歳『光学』を出版①成果
  19. 170562歳アン女王からナイト爵を授かる①
  20. 171269歳ライプニッツとの微積分の争いが頂点に①対立
  21. 172784歳3月、ロンドンで死去①③

本で数学を覚えた20代の青年は、何を作ったのか?

WHAT | 達成した事起こし変化を書くための3つの道具

書いた:1666年10月の小論(出版されず)/同じ方法を広げた『流率法』は1671年に書き、英訳の出版は1736年

流れる量と流率

x や y を時間とともに「流れる量」とみて、その速さを「流率」と呼んだ。文字の上に点を打って表した⑧。

変わり続ける量を書く、決まった書き方は無い⑧
流率の研究の中で(本になったのは死後)

接線と面積は、逆の操作

距離から速さを出すことと、速さから距離に戻ることは、逆向きの同じ計算。微積分の基本定理を、はっきり述べた⑧。

接線と面積は、別々の問題⑧
書いた:1669年/出版:1711年

無限に続く足し算で解く

『無限級数による解析について』。写本で回され、多くの数学者が目にした⑧。

面積や接線は、問題ごとの工夫で解くもの⑧

3つとも、書いた年と本になった年が大きく離れています。この「離れ」が、のちにニュートンを一番苦しめることになります。

でも始まりは、1664年、本を読んでいて気づいた小さな食い違いでした。その場にいたら、あなたならどう動く?

道が A・B・C の三手に分かれる道標 A B C

CROSSROADS | 分かれ道同じ曲線の話なのに、技がばらばら。あなたがその場にいたら、どう動く?

1664年。ケンブリッジの学生だった21歳。独学で数学の本を読んでいる①。曲線に接線を引く技と、曲線に囲まれた面積を求める技が、別々の本に、別々のやり方で載っている⑧。なのに、どちらも同じ「曲線」の話だ。タップして、その先を見てください。

A別々の問題として、そのまま受け取るタップして、その先へ

行動 接線は接線の技で、面積は面積の技で。アルキメデス以来の取り尽くしの方法や、フェルマーの方法を、問題ごとに使いこなしていく⑧

分かること確かめられた方法で、1問ずつ確実に答えが出る
見逃すこと2つの技のあいだに、つながりがあるかもしれないという可能性
B本を読み込み、技を集めて並べてみる★ ニュートンがその場でしたことタップして、その先へ

行動 何がすでに解けていて、何が解けていないかを、ノートに書き出して比べる

分かること自分の違和感が、どこから来ているのかがはっきりする
見逃すこと並べただけでは、技は問題ごとにばらばらのまま

史実1664年のはじめまでに、ニュートンは独学で数学を始め、オートレッド、ヴィエト、ウォリス、デカルトの本のノートをとっていました①

C見方そのものを変えて、両方を1つの書き方で表せないか試す★ ニュートンが次にしたことタップして、その先へ

行動 曲線のとらえ方を変えて、接線の問題と面積の問題を、同じ言葉で書いてみる

分かること同じ1つの書き方で両方を表せたら、2つの問題のつながりそのものを調べられる
見逃すこと新しい書き方は、まだ誰も読めない。説明して広めないと、自分の頭の中の道具のまま

史実ニュートンはこの道へ進み、1666年10月、流率についての小論にまとめました⑧。何を書いたかは HOW で

+ 得たもの別々の本に散らばっていた2つの技を、同じ土俵で調べられるようになった
− 代償本にはせず写本で回したため、のちの「どちらが先か」の争いのもとになった⑨(DARK SIDE へ)

※ A は、確かな方法を大事にする、当時ごく自然な動き方です。B で違和感の出どころを見定め、C で見方を変える。ニュートンはこの順番で進みました。

HOW | 泥沼の攻略法もしもニュートンが、1666年の小論を学会発表したら

ここからは、ニュートン本人の発表スライド――という設定でどうぞ。中身は微積分の歴史の解説⑧と、ガリレオの落下の法則⑰だけで組んでいます。

1666年10月 アイザック・ニュートン(23歳)

流率について

⑧

当時の常識:接線と面積は別々の工夫

常識
  • 面積は、図形を細かく取り尽くして求める(アルキメデス以来)⑧
  • 接線や極大・極小は、それぞれ別の工夫で求める(フェルマーら)⑧

仮説(再構成)

仮説
  • 曲線を、点が動いてできた跡とみる
  • 横の位置 x と縦の位置 y を、時間とともに流れる量(流量)とする⑧
  • それぞれの速さ(流率)が分かれば、その点での曲線の傾き(接線)は、2つの速さの比で書けるはず⑧

検証① 変化を書く

検証
動く点が描く曲線の模式図。横の速さと縦の速さの比が、その点での接線の傾きになる 横の速さ縦の速さ接線の傾き=縦の速さ÷横の速さ(模式図)
  • 流量の上に点を打って、その速さ(流率)を表す⑧
  • 接線の傾きは、縦の速さ÷横の速さ⑧

検証② ガリレオの落下で試す

検証
左:距離=時間の2乗のグラフ。右:速さ=2×時間のグラフで、時間0からtまでの下の三角形の面積がtの2乗になる 距離=時間²時間速さ=2×時間時間面積=t²t
  • ガリレオは、落ちる距離は時間の2乗に比例すると確かめていた⑰。時間を1・2・3・4とすると、距離は1・4・9・16
  • 距離=時間²。この「流れる量」の流率(速さ)を計算すると、速さ=2×時間。速さは、時間に比例して一定の割合で増えていく
  • 逆に、速さ=2×時間のグラフの下の面積(三角形)を時間0から t まで求めると、t²。もとの距離に戻る

検証③ 逆にたどる

検証
  • 距離から速さが出るなら、速さから距離にも戻れる⑧
  • 接線を求める計算を逆にたどると、面積が出てくる⑧

考察

考察
  • 「変わり方(速さ・接線)」と「積み重ね(距離・面積)」は、逆向きの同じ計算⑧
  • 別々の工夫で解かれていた問題が、1つの道具でつながる

結論

結論
  • 変化と積み重ねを、1つの書き方で行き来できる
  • これで「動くもの」を数式で書ける

― 質疑応答 ―

速さが変わる動きなら、前にも考えた人がいるのでは?
質問1
アイザック・ニュートン
いる。トリチェリらが、距離と速さを行き来する問題を考えていた。わたしがしたのは、その行き来を、どんな曲線にも使える1つの書き方にして、逆の関係をはっきり言ったことだ
「流率」って、ふつうの言葉で言うと?
質問2
アイザック・ニュートン
流れる量が、時間とともにどれだけの速さで変わっているか、だ

質疑応答の中身:トリチェリと基本定理⑧、流量と流率⑧。

同じ道具を、同じころ、別の人も作っていた。そのとき何が起きたのか?

DARK SIDE | 失敗と苦悩の記録審判を、当事者が書いた

  1. 16731月ライプニッツがロンドンを訪れ、王立協会で未完成の計算機を見せる⑲
  2. 1675ライプニッツが、草稿で ∫ を使い始める⑧⑩
  3. 167610月24日ニュートンがライプニッツに2通目の手紙を書く。方法の中身は、暗号(アナグラム)「6accdae13eff7i3l9n4o4qrr4s8t12ux」で書いた。ラテン語の文「いくつでも流れる量を含む方程式が与えられたら、流率を求めよ。またその逆も」の、文字の数を並べただけのもの㉑。ライプニッツに届いたのは翌年6月。MacTutor は、この手紙を「礼儀正しい書き方だが、ライプニッツが自分の方法を盗んだと思って書かれたのは明らか」とみている⑲
  4. 1684ライプニッツが微分の方法を雑誌『学術論叢』に発表⑧⑨
  5. 1699ごろ〜どちらが先か、の争いに火がつく①⑨
  6. 1703ニュートン、王立協会の会長に①
  7. 1712王立協会の調査報告(1713年はじめに刊行)。委員会の名で出たが、中身はニュートン自身が書き、ライプニッツの言い分を聞かずにニュートンを先と認めた⑨
  8. 1716ライプニッツが死去。ニュートンの先取を認めないまま⑨
  9. その後英国の数学者はニュートンの記号を使い続け、ライプニッツの記号を使う大陸に後れを取った⑨

言われていることライプニッツは、ニュートンの発見を盗んだ。

記録に残ること現代の多くの科学史家は、2人がそれぞれ独立に微積分を作ったとみています⑨。ニュートンの基礎の着想は1665〜66年で先でしたが、公表はライプニッツの1684年が先でした①⑨。

ニュートンは写本と暗号で中身を伏せ、ライプニッツは雑誌に自分の書き方で出した。そして王立協会の会長が、自分の争いの報告を自分で書いた①⑨。勝ったのはニュートンでした。でもその後、イギリスの数学は大陸に後れを取ります⑨。争いに勝って、道具の広がりで負けたんです。

それでも、ニュートンの微積分は何がそんなにすごかったのか?

WHY | なぜそれが凄かったのか答え:止まった図形の数学に、「時間」を持ちこんだ

冒頭の問いへの答え

変わる量を「時間とともに流れる量」とみて、その速さ(流率)を数式に書けるようにしたからです。さらに、変わり方(接線)を求めることと、積み重ね(面積)を求めることが逆の操作だと言い切りました⑧。問題ごとの工夫だった数学が、「変化」を書く1つの言葉になったんです。

当時の常識・制約
ニュートンがしたこと
面積は、図形を取り尽くして求める⑧
速さを逆にたどって、面積を出せるようにした⑧
接線と面積は、別々の問題⑧
2つは逆向きの同じ計算だと、はっきり述べた⑧
変わり続ける量を書く、決まった書き方が無い⑧
文字の上に点を打ち、流率として書いた⑧

止まった形を測る道具だった数学に、「時間とともに変わる」を持ちこんだ。数学嫌いの入口に見える微積分は、じつは世界の動きを書くための言葉の発明だったんです。

― いまの私たちへ ―

技術1

「変わり方」と「積み重ね」を行き来する

接線と面積を、逆の操作として結んだ。

ニュートン:◎
技術2

作った道具は、人が使える形で出す

写本で回し、本になったのは死後。記号は広まらなかった。

ニュートン:×(ライプニッツ:◎)

毎日の売上(変わり方)と、月の累計(積み重ね)。どちらか片方だけを見て判断していませんか。日々の増減を足せば累計になり、累計の傾きが日々の増減になる。そして、いい道具を作ったら、周りが使える書き方で早く出す。ニュートンが勝った争いで失ったのは、たぶんそこなんです。

分かったこと、そのあと、言葉はどう育ったか
  • 分かったこと:変化と積み重ねは、逆向きの同じ計算。これで「動くもの」を数式で書けるようになった。
  • そして、この言葉は次の世代の手で育っていく:自然の法則そのものを、微積分の式で書き直す時代が来ます。

じつはニュートン自身は、『プリンキピア』を流率の記号ではなく、昔ながらの幾何学の形で書きました。その幾何学では、加速度をそれ自体の量として書き表す手段がありませんでした⑪。

年
誰が
何をしたか
1716
ヘルマン
ニュートンの第2法則を、代数の式の形で書く⑪
1750
オイラー
「力学の新しい原理の発見」で、F=ma をあらゆる運動に使える一般の形で書き、物体の動きを微分の式(微分方程式)で求める道をひらく⑮
1788
ラグランジュ
『解析力学』。「この本には図が1つも無い」と序文に書き、作図も幾何学の議論も使わず、決まった手順の計算だけで力学を書いた。ニュートンの幾何学の方法を、ライプニッツ流の微積分で書き直す流れの到達点で、『プリンキピア』のほぼちょうど100年後だった⑯

②のページで見た「運動の変化は、加えた力に比例する」という文章は、こうして F=ma という式になり、微積分の言葉に置き換わりました。ここから先、物理の法則は「変わり方」を書く式で表され、その式を解けば、いまの状態から先の動きが計算できる。ニュートンとライプニッツが作った言葉は、こうして物理そのものの言葉になっていったんです。

この「変化の言葉」で書かれた法則は、次の人たちに受け継がれていきます。

本文の小さな丸数字は、下の番号に対応します。①〜⑦は3ページ共通です。トーク・スライド・質疑応答は出典の事実をもとにした再構成で、本人の発言の引用ではありません。

  1. ① Stanford Encyclopedia of Philosophy「Isaac Newton」https://plato.stanford.edu/entries/newton/(確認日 2026-09-28・2026-10-08)
  2. ② Royal Society Publishing「Newton shows the light: a commentary on Newton (1672)」https://royalsocietypublishing.org/rsta/article/373/2039/20140213/114844/Newton-shows-the-light-a-commentary-on-Newton-1672(確認日 2026-09-28)
  3. ③ The Renaissance Mathematicus「Calendrical confusion or just when did Newton die?」https://thonyc.wordpress.com/2015/03/20/calendrical-confusion-or-just-when-did-newton-die/(確認日 2026-09-30)
  4. ④ American Physical Society「Sir Isaac Newton's Principia」https://www.aps.org/apsnews/2000/07/isaac-newton-principia(確認日 2026-09-28)
  5. ⑤ The Newton Project「Newton: The Making of a Politician」https://www.newtonproject.ox.ac.uk/view/contexts/CNTX00002 / Encyclopaedia Britannica「Glorious Revolution summary」https://www.britannica.com/summary/Glorious-Revolution(確認日 2026-10-08)
  6. ⑥ The Newton Project「Chapter XVII」(ブルースターの伝記。1693年の不調)https://www.newtonproject.ox.ac.uk/view/texts/normalized/OTHE00078(確認日 2026-10-08)
  7. ⑦ Stanford Encyclopedia of Philosophy「William Whewell」https://plato.stanford.edu/entries/whewell/(確認日 2026-10-08)
  8. ⑧ MacTutor(セント・アンドルーズ大学)「The rise of calculus」https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/HistTopics/The_rise_of_calculus/(確認日 2026-10-08)
  9. ⑨ Wikipedia「Leibniz–Newton calculus controversy」https://en.wikipedia.org/wiki/Leibniz%E2%80%93Newton_calculus_controversy(参考・要確認。確認日 2026-09-28・2026-10-08)
  10. ⑩ Wikipedia「Leibniz's notation」https://en.wikipedia.org/wiki/Leibniz%27s_notation(参考。確認日 2026-10-08)
  11. ⑪ Stanford Encyclopedia of Philosophy「Newton's Philosophiae Naturalis Principia Mathematica」https://plato.stanford.edu/entries/newton-principia/(確認日 2026-10-08)
  12. ⑫ コトバンク「発微算法」(デジタル大辞泉・改訂新版 世界大百科事典)https://kotobank.jp/word/%E7%99%BA%E5%BE%AE%E7%AE%97%E6%B3%95-1195962(確認日 2026-10-08)
  13. ⑬ 大人の科学.net「江戸の科学者列伝 和算の開祖 関孝和」https://otonanokagaku.net/issue/edo/vol3/index04.html(確認日 2026-10-08)
  14. ⑭ MacTutor「Isaac Barrow」https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Barrow/(確認日 2026-10-08)
  15. ⑮ Euler Archive(University of the Pacific)「Découverte d'un nouveau principe de mécanique」(E177、1750年発表・1752年刊)https://scholarlycommons.pacific.edu/euler-works/177/(確認日 2026-10-08)
  16. ⑯ MacTutor「Lagrange Analytical Mechanics」https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Extras/Lagrange_Analytical_Mechanics/(確認日 2026-10-08)
  17. ⑰ Stanford Encyclopedia of Philosophy「Galileo Galilei」https://plato.stanford.edu/entries/galileo/(確認日 2026-10-08)
  18. ⑱ Revista Mètode「Electromagnetic Unification」https://metode.org/issues/article-revistes/electromagnetic-unification.html(確認日 2026-10-08)
  19. ⑲ MacTutor「Gottfried Leibniz」https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Leibniz/(確認日 2026-10-08。∫ の初出の日付は、ここでは1675年11月21日、Wikipedia では10月29日とされ、食い違うため本文では日付を書かない)
  20. ⑳ UC Davis(数学科の授業の補助資料)「3.5 Leibniz's Fundamental Theorem of Calculus」(教科書の章の抜粋)https://www.math.ucdavis.edu/~temple/MAT21B/SUPPLEMENTARY-ARTICLES/3leibniz.pdf(確認日 2026-10-08)
  21. ㉑ The Newton Project「An account of the Commercium Epistolicum」https://www.newtonproject.ox.ac.uk/view/texts/normalized/NATP00352 ほか(1676年10月の暗号と、その意味。検索結果の抜粋で確認。確認日 2026-10-08)
  22. ㉒ MacTutor「James Clerk Maxwell (1831 - 1879)」https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Maxwell/(生没年。確認日 2026-10-08)

ニュートンは微積分で何をした?

変わる量を「時間とともに流れる量」とみて、その速さ(流率)を数式で書けるようにしました。さらに、接線を求めることと面積を求めることが逆の操作だという、微積分の基本定理をはっきり述べています。基礎は1665〜66年に着想し、1666年10月に小論にまとめましたが、長く出版しませんでした。

微積分はニュートンとライプニッツのどちらが作った?

現代の多くの科学史家は、2人がそれぞれ独立に作ったとみています。着想はニュートン(1665〜66年)が先、公表はライプニッツ(1684年)が先でした。1712年の王立協会の報告はニュートンを先と認めましたが、その中身を書いたのはニュートン自身です。いま使う ∫ や dx の記号は、ライプニッツの書き方です。

ニュートンの微積分から何を学べる?

「変わり方」と「積み重ね」を行き来して物事を見ること、そして作った道具は人が使える形で早く出すことです。ニュートンは先取権の争いには勝ちましたが、記号が広まらず、その後イギリスの数学は大陸に後れを取りました。いい道具も、使われなければ広がらないんです。


このクエストから得た武器を装備する

「「変わり方」と「積み重ね」を行き来する」。
あなたの仕事で、日々の増減と累計のどちらか片方だけを見て判断している数字はありますか? もう片方を並べると何が見えますか?